俺の起業力〜達成するぞ!カゴシマンドリーム

カゴシマンドリームの実現に向けて 3人の若手社長が語る、 それぞれの“起業”の物語

 

Photo by.Tomohiro Arikawa&Junichi Ueyama

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会社勤めをしていると、「いつかは起業して社長になりたい」なんてふと思うことがある。特に身近に、若くして起こした事業が成功して華やかな生活を送っている友人や知人などがいれば、その思いはますます募るばかりだ。しかし、実際に起業をするとなると、収入や事業の将来性、成長が見込めるかなど、不安に思ってしまうことの方が多い。

今回の特集では、現在鹿児島でパワフルに事業を展開する飲食業、通信業、建設業から3人の若手社長に登場してもらい、その人となりや、起業の背景、商売の分岐点、価値観、将来の目標などをインタビューさせてもらった。明らかになるリアルなドキュメンタリー。そして意外にも我々と多くの共通点があることに気づく。起業したいけど踏み切れずにいるガイズの中には、「いっちょ、やってみよう!」なんて踏ん切りがつく人もいるかもしれない。また、管理職、あるいは実際に経営に携わっている立場で日々苦労している人にとっても、記事の中にそれを乗り越えるヒントが隠されているかもしれない。

3人の社長が口をそろえるのは、チャンスは誰にでも平等にある、ということ。俺たちもカゴシマンドリームを実現させて、地元で一旗上げようじゃないか!

 

 

期せずして行列のできるラーメン屋に 

天文館の焼肉屋でアルバイトをしていた高校生の時。ちょうどバブル全盛期で、一つの小さいテーブルで4〜5万円もの大金が使われる光景を見ながら「飲食業界はすごい世界だ」と高校生ながらに思ったのを覚えている。当時は小遣い稼ぎのつもりでやっていたけど、この時の華やかな光景は忘れられなかった。高校は土木科だったから、卒業後は建設会社に就職したけど半年で退職。その後は気が付けば、焼き鳥屋や居酒屋、たこ焼き屋など飲食店ばかりで働いていた。一番やってみたかったラーメンの世界に足を踏み入れたのは25歳の時。天文館の「ラーメン小金太」の門を叩いた。性に合っていたのか今までの職場で一番面白いと思った。そして洗い場でひたすら皿洗いをしながら、先輩たちの麺上げ、盛り付けなどをする姿を見ていたら、自分でも店ができると確信して3カ月で退職。その後、別のラーメン店で4カ月間、ずっとやりたいと思っていたバイクの出前を経験してから、自宅で本格的にラーメンの研究を始めた。

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26歳の時、鹿児島市山之口町に「鹿児島ラーメン豚とろ本店」を開業。業界に入って10カ月でオープンしたことになるけど、仕事はとにかく面白くて楽しかった。ラーメンに関する本を買い漁ったりして一日中ずっとスープのことを考えていた。最初、ラーメン屋を開業すると言ったら、周囲からは「やめろ」と言われた。今でこそ若い店主のラーメン屋って多いけど、15年前の当時は相当ジジイくさいイメージの職業だったから。  u1703060082

 

開業当初は、友達が飲んだ帰りに、店に寄って食べたり飲んだりしてくれればいいや、と思っていた。実際、たくさんの友達が店に来てくれて、大勢で飲んでいるものだから、ラーメンを食べてみようかな、というお客さんが中に入れずに外で待ってもらうこともしばしばあった。それが一カ月くらい続いたのかな。そうしたら次第に周りの人から「行列ができるラーメン屋だ」というふうに思われ始めた。そこからさらに運がいいんだけど、「どんかご」を制作している人がたまたまお店の前を通りかかって、繁盛店ということで後日取材をしてもらった。テレビに出させてもらってからというもの、中で飲んでいられないくらいに本格的に忙しくなってきた。チャンスをつかんだターニングポイントは間違いなくこの時期だね。新しく開業しようという人はあまりいなかったし、「新しい店で一回くらい食べてみよう」という人もいっぱいいたからね。時代も良かったのかもしれない。 u1703060013

 

2店舗目の出店を決めたのは、本店オープンから2年程たってから。もともとは1店舗でやろうと思っていたけど、当時自分の右腕として働いてくれていた社員(現たけ家店主)が頑張ってくれたり、お客さんも増えたりしていたから、彼のステージを作ってあげないといけない、と思ったのが理由。現在は6店舗に増えたけど、同じように店の運営は各店長に全部任せている。若い時にいろいろ任せてもらえたら嬉しいし気分良く働ける。起業して一番困るのは、社員が育たなかったり、長続きしなかったりすることだから。

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人生最大の失敗も一日で気持ちを切り替え

商売って難しくて、なかなか思った通りにはいかない。最大の失敗は2011年6月に、火事で本店を全焼させたこと。あれは本当にたくさんの人に迷惑をかけてしまい申し訳なかった。自分の目が行き届いていなかったが故の出来事。けが人がいなかったから本当に良かった。さすがにヘコんだけど、「頑張って!」という張り紙をしてくれる人がいたり、全然知らない人からお見舞いをもらったりして、「いつまでも落ち込んでいる場合じゃない」と思って、翌日から急ピッチで復旧作業を始めた。社員のみんなにはスコップを持って泥まみれで作業をしてもらったり、トラックに乗ってもらったりと大変だったと思うけど、そのおかげで3週間後には営業を再開することができた。u1703060081

 

 

油まみれで仕事に没頭した開業当初から現在

直感でいいなと思ったらすぐに動く、というのが自分の信条。実際に、ラーメン屋になろうと決めたら翌日から開業に向けて動いたし、東京などからイベントの話があれば即決することもある。火事のときも1日思い切りヘコんで、次の日から大工さんと一緒に作業していた。逆に時間をかけて悩むことって、「良いか」「悪いか」という問答がずっと続くわけで自分には合わないし、絶対にやらない。  別会社で太陽光発電事業をしているけど、当時最初にその話を聞いた時すぐ「利益が出せる」と思って、翌日から不動産屋かっていうくらいに広大な土地を探し回った。ラーメン屋を開業する時と同じように、周囲に「やめとけ」って言われたけど自分の決断を信じた。最初に完成した太陽光発電施設が本格稼働を始めたのはちょうど3年前。現在は湧水町と出水市の計3カ所で順調に動いている。ラーメン屋は人気商売だから、ブームや季節で売り上げが左右されることがある。落ち込んだりすると、その間社員に飯を食わせられない。太陽光発電の安定収入は、たくさんの社員の生活を守るために必要だった。鹿児島は日照時間も長いし、広大な土地もあるからこの事業には適していると思う。その後すぐに売電制限がかかったから、判断が少しでも遅れていれば、この事業は成立していなかった。  ラーメン屋を始めた当初は、寝る暇もなく油をかぶってやっていた。面白かったとはいえ、さすがにこの生活をずっと続けるのは嫌だなとは思っていた。「あいつは昔ラーメン屋だったんだよ、今はあんなスーツを着ているけど」って言われるように会社を大きくしたい。そして自分も大きくなりたいなと思っている。そういうことを思い続けていないと頑張れないよね。

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己に課すルール

すぐ動くこと。悩んでしまうことには手をつけない。「だるい」とか「きつい」、「面倒くさい」というマイナスの気持ちが出たら、すぐにその気持ちを押し殺して表には出さないようにして、一切口にもしない。

 

運が強いか計画的か

運は強いと思う。いろんな場面でトントン拍子に進むところがいっぱいある。特に狙っていたわけではないが、結果的に働いてくれる社員に恵まれて、現在6店舗まで増やすことができている。

 

青春時代

高校時代はバイトで200万円貯めた。一部は後の開業資金に。勉強した記憶がなく、英語ノートを読み返してみたら3年間で1行しか書いていなかった。応援団で甲子園には4回行かせてもらった。忍耐力はついたと思う。

 

尊敬する人

尊敬する人は特にいないけど、親しくさせてもらっているのは寿楽フードサービスの鯵坂英賢社長。頭の回転が早いし器用だし、考え方に遊びが多くて従業員とのコミュニケーションも上手。見習うべき存在。

 

次のステップ

県外、特に東京に出店したい。過去に海外出店の計画もあったがポシャってしまった。それで終わらせるのではなく、さまざまな可能性を探りながら、なんとか実現できるようにチャレンジしていきたい。

 

起業を考えている人に

従業員として働いているときは、1日8〜10時間働けば給料はもらえるけど、起業したら誰も金はくれない。その時間と金の価値を考えるべき。100円でも本当にありがたいと思えてくるはずだ。体調管理も必要。

 

 

 

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