4番、サード、 内之倉隆志

当時の野球部監督が振り返る俺から見た内之倉隆志

固い信頼関係を築いていた監督が語る 高校時代の内之倉隆志の素顔

Photo by.Junichi Ueyama

 

鹿実の最強世代を支えた 内之倉隆志という男

内之倉と聞いてまず思い出すのは、私にとっても鹿実にとっても忘れ難いパワーヒッターだったということです。さらに体格良し、守っても良しで、歴代の鹿実野球部でもトップクラスの実力だったのではないでしょうか。うちではめったにないことなんですけど、将来の期待を込めて1年生から4番を打たせていました。最初の頃はそれほどでもなかったんですが、その年の秋頃から大器の兆候が見え始めて、素晴らしい選手に成長してくれました。2年の春と秋の九州大会は優勝。当時は九州でもだいぶ大差で勝っていたと思います。特に彼は“九州大会男”と呼ばれていて、福岡の平和台球場に行くと、一大会で4本くらいホームランを打っていましたよ。会場の野球ファンからは「内之倉、ダイエーに来てくれよ!」なんて呼びかけられていました(笑)。

 

この世代は粒ぞろいだったから「甲子園に行けるかな」という予感はうっすらとはありましたが、6年ほど低迷した時期がありましたので、一戦一戦、足下をすくわれないように、石橋をたたいて渡るように手堅くいったのを覚えています(笑)。結果的にこの内之倉世代の選手たちがきっかけとなって、4期連続で甲子園に出場することができました。今でも鮮明に覚えているのが、内之倉が3年生の時の夏の甲子園。3回戦で松山商業と対戦したんですが、1ー2で負けていて、「このあたりで内之倉がホームランを打ってくれたら」なんて思っていたら、本当に逆転スリーランを打ってその通りに! まさに「神様、仏様、内之倉様」でした(笑)。

 

次の準決勝では、西日本短大付属高校と対戦しましたが、そこは九州大会に1回も来ていないチームで、アンダースローの変則ピッチャーでした。1回に2点先手を取られて、「後半追いつけるだろう」と思っていたけど、追いつけなかった。そこが監督として未熟でした。内之倉が一本打ってくれたんだけれど。もっと相手チームを研究するべきでした。それだけが後悔です。優勝候補と言われながら、決勝まで残ることはできませんでしたが、この世代は歴代鹿実の中でも評価は高かったと思います。九州大会では2回優勝していますし、選手個々の能力は言うまでもなかったですね。

 

学校生活は極めて真面目 卒業後も変わらず

内之倉は中学生の頃、ガッツ鹿児島というチームに所属していました。当時の高校の野球部監督で、彼の存在を知らない人はいないくらい目立った選手でした。最初は大阪桐蔭高校に進学するような話があった、というのは聞いています。鹿実としてもぜひとも欲しい選手でしたから、あきらめずに何度も自宅に足を運びましたよ。それこそお嫁さんをもらいに行くときみたいに(笑)。最終的にはご両親も「鹿実に預けてみよう」と思っていただいたのではないでしょうか。その連絡をもらったときは「やった!嘘やろ!!」と思いました。

 

鹿実の運動部の生徒は、昼食を食べた後の5時間目以降は居眠りが多かった。早朝練習もしていますからね。ところが内之倉は一切居眠りなし。各教科の先生から逐一情報が入ってきて、よく野球部の生徒を怒りに行ったものですが、彼に関してはそういうことはありませんでした。実直で真面目な生徒だったのを覚えています。野球の練習も同じ。そして卒業後ダイエーホークスの合宿所に入寮しても、寮長から「内之倉を見習え!」と言われていたらしいですよ。電話の受け答えや身のこなし、みんなが嫌がることを率先してやっている姿を見られていたのではないでしょうか。鹿実という厳しい学校で、それに輪をかけた野球部でしたから(笑)。

 

そういうことも含めて、内之倉は今でもずっと野球界でお世話になっているのかもしれません。普通は現役が終わったら、お払い箱になったり、別の仕事に変わったりしないといけませんから。球団に残っているということは、その素直さが財産になっているんでしょうね。特にブルペンキャッチャーは、投手との信頼関係がないと務まりませんから。彼も含めて鹿実の選手は、プロに進んでも割と野球の世界に残っていると思います。学生時代にとことんまで鍛えられたからかな。卒業生はみんな「高校時代の方がキツかった」と言います(笑)。定岡も本多も杉内も同じようなことを言っていました。おかげさまで、プロに行った連中は、一軍の試合に出て、プロに行った価値があるくらい、いい給料をもらって。監督冥利に尽きます。

 

 

男に生まれた以上は しっかりと家庭を養って

私は内之倉の結婚式の媒酌人をやらせていただきました。一緒にお嫁さんをもらいに行ったり、結納もして、結婚式で口上も述べたりと、もう息子のような感じでしたね(笑)。内之倉だけではなく、OBみんなに言いたいのは、健康は第一条件として、私よりもいい生活をしてほしいということ。教え子が少しでも上に行って、あわよくば総理大臣になってくれるのがいれば、なお良い(笑)。男に生まれたからには、しっかりと自分の家庭を養っていく力を付けて、充実した生活を送ってほしいと思います。

 

 

 

 

 

 

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