ミニ四駆再入門〜あの頃の興奮がよみがえる!
- 2016/8/18
- FEATURE
ジャパンカップ優勝は異次元!
世界大会では大きなハプニングも
渡邉 僕がメーンで使っていたマシンはアバンテでした。キャラクター「タミヤの前ちゃん」仕様のアゼンテっていうのもありましたね(笑)。
渡邉 (当時の雑誌を見ながら)おっ、僕が出た大会の写真が載ってる! これ僕ですよ! そしてこれ僕のマシン! 香港での世界大会で出したマシンなんですけど、空港に置き忘れて僕のアゼンテがなくなって、急きょ作ったマシンです。
大平 でも、うちにたまたま1991年大会の記事が載っている雑誌があるなんて、すごい巡り合わせですね。
渡邉 本当ですね(笑)。実は初めて出た大会だったんですよ。
大平 これで渡辺さんがチャンピオンということが証明されました(笑)。でも本当にチャンピオンって異次元の存在なんです。地方で優勝することも簡単ではないし、しかも運を味方に付けないといけない。渡辺さん、その時(1991年ジャパンカップ)のステップとしては?
渡邉 よく覚えていないけど、予選が3回戦くらいあって、その後決勝だったかな。決勝は東京の銀座だったと思います。デパートの屋上で2回走らせました。各県代表が5人ずつ走らせるので10組くらいかな。タイムで順位が出て優勝者が決まるんですよ。電光掲示板の一番上に自分の名前が出た時は感動しました!
大平 渡邉さんの“ホーム”はどこだったんですか? 僕は伊敷だったので、福地模型にお世話になっていました。
渡邉 僕は郡元のバロンですね。
大平 なんかバロンさんは特別でしたよね。最近になって「レベルが高かった!」という話をよく聞きますよ。当時お店に行けなかったって。みんな速いんですよ。全国クラスが何人かいたらしいですね。
渡邉 そんなライバルたちにもまれてチャンピオンになりました。だけど、今でこそこうやって当時のことを面白おかしく話せますけど、ミニ四駆を卒業して思春期に入ると恥ずかしくて言えなかったんですよ。周りの連中は知っていたから、面白がって「こいつミニ四駆チャンピオンだよ」とか言われていました。最近はブームなので堂々と「俺、チャンピオンだったんだよ」と自慢しています(笑)
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